「黒グルミのからのなかに」
小さい頃はたくさん読んだ。それはもう溺れるほどだった。
しかし今現在私の記憶に固体として残っているのは本書だけである。他の絵本のことはさっぱり思いだせない。
幼少期の郷愁のうちに想起されることはあるものの、何冊かが束になり体系的な観念を生み出しているだけで、胎児をとりまく羊水のように曖昧だ。
ではなぜ本書なのか。それは本来の意味での死をテーマにしているからだ。
病気の母親が自らの死期を悟り、その旨を息子、ポールに伝える場面から始まる。やがてポールは母親を迎えに来た死神と出くわす。
ポールは母の死を許せず死神をつぶして黒グルミの中へ閉じ込めてしまう。すると死を運ぶ者がいなくなってしまったので、生き物がことごとく生き続けることになった。家畜のニワトリの首は切れないし。
結局ポールは死神を開放する。
我々は死という言葉を知ったときから死を知っている訳ではない。子どものときは大切な人や自分の死について考えるにしても、永久の生という希望をどこかで持っていた。実際、動物は死を知らないそうだ。
が、人は時を重ねるにつれ終わりの存在を確信していく。抗いがたい恐怖を抱きながらも向き合い、解決しなければならない。
死がなければ過去も未来もない。ただ現在の充足に努めるばかりである。
ヒト科ヒト属は知ってしまったがために文明を築いた。
記憶し、予測する生物になった。
『黒グルミのからのなかに』は、私を人間にした一冊だ。