庵野秀明味ソーダ

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夏男 庵野秀明

 サンサンの太陽の下、アゲアゲテンションで私は庵野秀明を見る。

 そう、あの悪名高い彼である。

 

 オタクのアイドル、代弁者となるのかと思えば「気持ち悪い」と撥ね退け徹底的に批判する。頑固で扱いずらいと感じている人もいるのではないか。

 

 しかし彼の作品を今一度確認してほしい。彼の画面はものすごく明るい。なぜなら一貫して夏を舞台にしているからだ。

 

 蜃気楼で先が見えない線路、立ち上る入道雲の影が落ちる頬。ライフワークとなった「エヴァンゲリオン」も、セカンドインパクト後の異常気象で冬が訪れなくなった世界を描いている。彼の絵、画の中で天気が崩れることはめったにない。

 

 故に私の中で夏と庵野が結合してしまった。(ちなみに対極イメージはハリー・ポッター。クリスマスによく見る。)庵野秀明は風鈴であり、扇風機であり、炭酸水。猛暑を乗り切るための必要要素だ。

 

 

カオスの後に

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 エヴァンゲリオン完結編の一つ、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」は日本史上最も混沌としている映画といえるだろう。

 主に主人公碇シンジの精神世界が展開され、どこか宗教的雰囲気を纏っている。ファンの間では激しく賛否両論が巻き起こり監督へ殺害予告が送られる事態にさえなった。

 

 その渦中、彼はアダルトビデオの研究に没頭していた。自分自身のハメ撮りさえ検討していたらしい。

 そして来る1998年、実質初の実写作品「ラブ&ポップ」公開。

 

 村上龍氏の小説が原作で、平成初期当時のJ K裕実によるパパ活のストーリーである。高校最後の夏休み前、彼女はトパーズの指輪をみつけ、それを手に入れるために援助交際を始める。

 

 グルグルと落ち着かないカメラワークで映し出される殺風景な都会。特にスカートの中を覗くようなカットが執拗に続いて中々気持ち悪い。しかし映る太ももはセクシュアルなニュアンスよりも関節人形的印象を与える。ハンス・ベルメール作品のようだ。

 また、裕美による記号論についての傍白の中、耳を澄ますとジムノペディなど質素なクラシック音楽が聞こえた。

 

 「きもい」おじさんがたくさん出てくる本作。中年男性としゃぶしゃぶを食べるシーンがある。彼にも娘がいて、正義感から援助交際をする裕実に説教をする。

 この挿話は原作小説のオリジナルなのだが、「動物の死体だ」と肉食を忌避する庵野監督によるメタファーだと考えられないだろうか。

 

 また夏をテーマにした本記事で特筆すべきは海に沈む比喩的映像だろう。これは先の「Air/まごころを、君に」でも同じ表現が出現する。海もまたよく使われるモチーフだ。母なる海。

 庵野監督は「閉塞」という言葉をよく使う。自分の殻に閉じこもり外部と交流を失った人々が行きつく場所である。何もしなくていいが何もない世界。

 

 日本のエンタメに根付くこうした私小説的「閉塞」感。ラブ&ポップはこれを90年代のノスタルジーの中に落とし込んだ懺悔、救済、そして伝承の映画なのだ。

 

 

ここにいて、いいの?

↓これより下、ネタバレ有り

 結局、裕実のささやかな収入はキャプテン××と名乗る客に奪われてしまった。それどころか裸のまま四肢を掴まれ自由を奪われる。つまり怖い目にあう。

 

 だがキャプテン××の言葉こそキーワードだった。

誰にもその人を大切に想っている人がいる。

だから自分を大切にしないといけない。

 

 夜中に一人で鑑賞していて、キャプテン××の恐怖に怯えていた私の脳裏には家族の存在が浮かんだ。

 劇中でも裕実を受容してくれる大人はいた。社会、現実との一筋の繋がりだ。水面に滲む外の日光。

 エンドロールでは「あの素晴らしい愛をもう一度」がかかる。一緒になって熱唱した。

 

 誰もが誰かに想われている、これが本当なのか私はわからない。家族がいなくなったら独りになってしまうかもしれない。

 けれども、少しでも思い当たる人がいる内は信じてみようと思う。