今週の三冊

 正直読んだ本のこと全部忘れてるんですよね。感想とか残しとけば良かったなあって。

 まあ今からでも遅くない!と信じて、今週読んだ本からはメモ書きます。毎年読書感想文書き直し命令されてる人間の殴り書きです。

 

「日々の泡」ボリス・ヴィアン(曾根元吉訳)

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『日々の泡』が細部のすみずみに大小無数の《半現実》の地雷を仕掛けた現代青年の童話であることを悟るはずである。

 上記は巻末の訳者解説より。お金持ちだった主人公が落ちぶれて労働をする話。レーモン・クノー曰く「20世紀の恋愛小説中もっとも悲痛な小説」。

 転落物語ってハラハラする。特に今回の主人公はすごく純真な人だったからキツかった。(物語に集中して読めなかったので再読したい)

 

「ビグルモワの原理は」と二コラが言った。「あなた様もたぶんご承知でしょうが、厳密な同時発生の振動運動が発動する二個の源泉の物理的干渉の所産に依拠しております」

 これは劇中のセリフ。「日々の泡」には物理学的な記述が膨大にある。故に、非現実的な出来事でも、それを惹き起こす力の始点と終着点が明瞭。

 この小説には一貫した物理的エネルギーがあると思う。それが空間を形づくってる、という印象。この書き方めっちゃイイ。

 

 昔アンドレ・ブルトンの「溶ける魚」を読んで「シュルレアリスムってランダムすぎて難しいな」って思ったけど、ヴィアンはユーモラスにシュルレアリスムしてると思う。

 もちろん「溶ける魚」も大好き!

 

 

 

「アイスネルワイゼン」三木美奈

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 「アイスネルワイゼン」と「アキちゃん」の併録。久しぶりに読む二十一世紀日本小説。

・アイスネルワイゼン

 場面転換が多い。タイトルの「アイスネルワイゼン」は曲名。ぶつ切り的なシーンの切り替えは、音楽でいうところのAメロとかBメロとかを表してるのかなと思った。知らんけど。

 テーマは人の多面性かな。相手によって態度を変える人たちがいっぱい。絶妙に全員苦手。

 

・アキちゃん

 冒頭が良かった。50ページくらいでコンパクト。大人の言葉で小学校社会を書くのがうまいと思う。ネットでは結構時系列の処理に関して言及されてた。けど初読では気づかなかった。

 個人的に、「女の子みたいな男の子」っていう要素はいらなかったんじゃないかなと感じた。ちょっぴりね。この題目で叙述トリックみたいな書き方は斬新だなって思ったけど。

 文學界新人賞への応募作だから、LGBTみたいなテーマも取り入れたかったのかなって。でも、これがなかったらあまりにもこじんまりとしすぎてる、みたいにも思うし。難しいネ。

 この作品に対する芥川賞の選評では、「最後のシーンが雑」みたいな意見が多かった。言われてみればそうだなってぐらい。

 

 あと、現代の日本の小説の文体って大体「その時の通俗的な口調」を模してる(?)

 10年代以降の作品は、自分でも生で感じたことのある話し方。だから時々違和感を感じる。

 例えば「アイツ」という言葉。本書でも頻繁に使われた。けれど、私は「アイツ」と人が言ってるのを聞いたことがない。

 私のまわりの環境が少数派なのかもしれないけど、今の子はもう「アイツ」ってあんまり使わないって印象がある。アイスネルワイゼンの主人公は三十代くらいだからそっちの方が自然なのかも。

 といっても、多少の異物感は妙味だよね。

 

 

日時計」シャーリイ・ジャクスン(渡辺庸子訳)

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 著者シャーリイ・ジャクスンの伝記フィルムが最近公開されてたので読んだ。映画は上映館が県内になかったので見れなかった。

 

 大富豪がすごい豪邸で「世界の終わり」を乗り切ろうとする話。

 ジメジメした人々が意味不明な波乱に見舞われるって筋書がA24みたい(実際アリ・アスター監督の「ミッドサマー」は著者の「くじ」という短編から着想を得ているらしい)

 館モノって舞台が限定されてるから、まとまりがあって好き。でも陰鬱だから途中で館ごと解体したくなる。皆しっかり外の空気を吸って!

 しかし物語の神様は読者じゃなくて作者なんだヨ。我々はドロドロな人間関係を黙って見てるしかない。この小説でも屋敷からの脱走を試みた人は失敗してるし。

 

 家具や庭の描写は美麗。憧れのヨーロッパって感じ。アメリカかも。他のジャクスン作品も読んでみたい。図書館には「日時計」しかなかった。メルカリに安くであるといいな。